会社を辞めよう

「特定労働者派遣事業者」を生業にしている中小のIT企業は多いと思う。僕も2002年末頃に上京して以来、その手の会社に在籍し続けてきたが、いろんな面でもう限界だ。続けられない。そういう状況にきている。
「先が見えない不安」
ありていな言葉だけど、これが最もしっくりくる。

人生を無駄にしない会社の選び方
新田 龍
日本実業出版社
売り上げランキング: 25216

幸せになるやつだっている

あまり大っぴらに口に出すことはないけど、人身売買業の一種だ。だからかどうかはわからないが、エンジニアを売り物にする販売員(営業さん)は往々にしてエンジニアリングな知識を持たない。
まあ、それはいいとして、この手の会社に在籍していると、社内や社外で会うのもたいていは派遣エンジニアだ。「派遣エンジニア=派遣社員」ではないことに注意。つまり正社員だということだけど、この手の業者は求職者や社員に向けて「派遣ではない。人を大事にする会社」をしきりにアピールしてくる。それが嘘だと言う気はないし、もちろんそういうこともあると思う。
長くこの手の仕事を続けている人も多く見てきた。それなりにキャリアアップして、結婚して子供を授かっている人だっている。人並みな幸せを享受することが、できないわけではない。

やらずにすむなら、やらないほうがいい

本当はエンジニアと呼ばれる立場になりたかった。理由はコミュニケーションが苦手だったからだけど、人並みに話し合う能力をもともと持っていたし、コミュ障などではないから、エンジニアになろうと思えばなれたはずだった。僕自身はまともな大学に入るための勉強を怠ってしまったので、コンピュータ関連の専門学校に入り、エンジニア派遣を生業にする会社に入社した。入社した時点であれば、方向性をちゃんと見据えて、なりたい自分を見失わなければよかった。自分のキャリアの妨げになりそうな甘言を遮ることができたはずだ。
ただ、本当ならエンジニア派遣オンリーな会社に入るより、それなりに知識や技術がある人が在籍していて、そこそこの教育を受ける環境がある会社のほうがよりいいし、もっといえば派遣されるよりされないほうが、個人的には充足すると今なら思う。
「今なら思う」
というけど、本当なら就職するずっと前にそれを知ることだってできた。なぜ当時わからなかったかというと、単にリサーチを怠っただけだ。

後悔先に立たず

三十手前だから、軌道修正できないってわけではない。育ち盛りのお子さんがいるお父さんが整理解雇で路頭に迷いそうになりながらも、ちゃんと踏ん張れることだってある。ただ、十代から二十代半ばで軌道修正するよりも難しくなっている。それは実際問題としても、気持ちの問題としても。
当たり前のことを当たり前にやっておけばよかった。
小学生なら、友達とよく遊ぼう。周囲は学習意欲を刺激するように努めよう。中学生なら、異性を含めた友達や年上の先輩や大人とよく話すようにしよう。周囲は高校受験を見据えた学習計画を立てることを促そう。高校生なら、異性を含んだ友達・先輩とよく遊び、話そう。卒業後の進路を決めて、それに沿って勉強するなりしよう。
社会人になったら……、ってもういいや。
当たり前のこと過ぎる話だし、こういうことは少し欠いてもリカバリーは利く。ただ、大人になるにつれて欠いた努力や過程のリカバリーは難しくなるのだ。
若いみなさんにはカビの生えた言葉を贈りたい。「後悔しないようにやってください」
最近、独り言が増えたような気がする。今の僕を遊びに誘ってくれる人には、言葉にできないくらい深く感謝している。

いつまで生きる?

「三十までに作家になれなかったら、自殺する」
出典は忘れてしまったけど、筒井康隆先生の言葉だ。僕自身が作家になるつもりはないけど、この言葉のことを二十の頃から考えていた。もっとも、筒井先生のこの言葉の後には「三十で作家デビューは早すぎた。四十でよかった」と続くんだけど。
「自信がほしい……」
闇金ウシジマくん』のニート編で、三十半ばのニートくんが涙を浮かべてそう呟いた。三十半ばにはもうちょっと時間があるが、僕もそんな心境だ。劣等感が仲間を遠ざけた。仲間が消えて不安が増す悪循環。今は家族を遠ざけようとしている。
思えば、僕の二十代は生きる自信を目減りさせてきたのだ。歳を経るにつれて、三十を手前にして、生きる不安は増すばかりだ。たぶんこれからは健康上の問題も不安要素に加わるに違いない。こんな状況で会社を辞めようと、今は考えている。よくない結果を呼び込む気がしてならない。

会社は2年で辞めていい (幻冬舎新書)
山崎 元
幻冬舎
売り上げランキング: 67224