三宅綾ブログ WING編 21-30

三宅のブログWING編の総集編、今回は21-30まで。今日の時点で最新記事は31でまだ続くようなので、ある程度まとまった段階で再開します。だんだんお金の話が増えてきます。WING編の前にやっていたFMWは42まであり、番外編的なエピソードを加えるともう少し増える。FMW編では人間関係的なストレスで苦しんだという話が多いです。大仁田・後藤・ポーゴによる恋のトリプルスレッド。
WINGのショッキングシーンといえば、金村ゆきひろ金村キンタロー)の火だるまシーンです。ビデオやYoutubeで何度も観ましたが、まあ事故です。非道がオイルを撒き過ぎたとかいわれてます。個人的に同じくらいショッキングだったのが、ジェイソンとフレディがルーザー・リーブ・タウン・マッチで戦った試合。試合内容はWING怪奇派対決に良くも悪くもふさわしいものでした。試合結果はジェイソンの負けでしたが、問題は試合後。色違いのジェイソンが現れてフレディと共闘して大暴れ。試合に敗れたジェイソンの腕を破壊してしまいます(のように見えた)。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~t-shirt/wing/vivy10025/1.html

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51476243.html

FMWの練習生だったころ、新日の道場を訪れて当時練習生だった山本広吉天山広吉)と出会って励ましあったこと。WING旗揚げ前、ビクター・キニョネスの計らいでプエルトリコに遠征中だった当時新日の野上彰(AKIRA)と電話で話したことを語ります。
あと、プロレスにおいては腰の低さや人の良さで損をすることが多いとも語りますが、それはそうだ。三宅選手はそれでも自己主張が控えめな選手に着目したいと語り締めています。このへんはポーゴの影響があるのかなあ。三宅がファンから愛される理由は控えめで素直なところ、まさにポーゴと同じです。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51486108.html

九州へ巡業したときの思い出を語ります。彼女への手紙を書くウィンガーを金村と一緒に笑いあったこと。いつも竹刀で叩いてくるビクター・キニョネスに褒められていたことを、人づてに知った話など。

当時私はビクターさんに竹刀で殴られる回数も多く、ただのヤング・ボーイのポジションです。
「ビクターさんは多分私の事を『嫌い』なんだな」・・・と思ってました。
なので金村選手からビクターさんが私の事を「ミヤケ、プロレスリング・ラブ、スピリット・イチバンネ!」と言ってた・・・と聞いた時何度も
「マジで?マジでビクターがそんな事を言ったの?」
と聞き直して確認して喜んだのを覚えてます。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51487788.html

オリプロの選手が参戦するようになった時期を振り返り、当時のポジションと意気込みを語ります。

同期に先越され、後輩に抜かれ、前座の定位置・雑用・付き人。
WINGの為に体を張って血だらけになりながら松永さんのパートナーを務める金村選手が眩しく・頼もしく見えました
いつか金ちゃん(金村選手)のように「上」で試合をしたい!
20代の、いつかきっと・・・

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51490536.html

ヘッドハンターAにボコられまくったエピソードです。ヘッドハンターAがフィニッシュのつもりで仕掛けたムーンサルトを三宅がかわしてしまったことが原因で、ちょっとしたボタンの掛け違いでヘッドハンターAはマジ切れしたのだと語ります。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51492131.html

中牧がFMWからWINGへ移籍してきたエピソード。当初、中牧は腰の低い態度でしたが、しだいにポジションをあげていき、えらそうな態度をとるようになりました。中牧がプロレスラーとして器用な選手であることを認めつつ、複雑な心境をつづっています。
この話とは無関係ですが、中牧が山川と組んでターザン後藤とのガラスデスマッチに挑む動画があるのですが、日本のプロレス的には常軌を逸した試合だと思います。後藤は中牧の腕をズタズタに引き裂き、中牧ドクターストップ状態。最後に中牧は応急処置を受けて、救急車で会場を後にするのです。たぶん大日本プロレスです。あれは何かの制裁なのか。初期のFMWには明るくないので、よくわかりません。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51627438.html

経済的に苦境に立たされていた三宅をよそに、ポーゴが先に辞めてしまいました。後楽園ホール大会終了後、三宅にだけ一言告げてWINGを去ります。

ホントにキレイに挨拶して退団してたらその後に松永さんがポーゴさんの自宅に押しかけての「またくるゆるさん」は無かったと思います。
会社(WING)だってそんな指示を松永さんに出さないだろうし、仮に出したとしても松永さんは「ノー」と言ったと思います。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51628758.html

月給9万円を遅配され、おまけに分割払いされてきた三宅の経済状況はどん底。借金を重ね多重債務状態に陥りながら、プロレスラーを続けることを望む当時の心境を語っています。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51630689.html

ウィンガー、金村と焼肉店にやってきた三宅。盛り上がっていたようですが、サラリーマンにプロレスをバカにされて悔しい思いをしてしまいます。それに加えてWINGから東京プロレスにかけてのギャラの未払い・遅配という逆境に置かれながらプロレスを続けてきたことにインディー魂があったと三宅は語ります。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51634146.html

FMWとWINGに在籍していた営業社員についての話です。プロレス関係者にしてはずいぶん常識人でかつシビアだったようです。

「本当にプロレスで食っていけるのは馬場さんと猪木さんだけだよ。テレビ?そんなのこれから続く訳無いじゃん!ボクサーはチャンピオンでもみんな働いてるんだよ。この業界(プロレス界)がオカシイんだよ」(20年前の会話です)
こんな事を言う人だったから上野と私はEさんの事を「カタい人だなぁ」と少し毛嫌いしてた時期もあります。
それでもやる事はシッカリやる人でした。

今はプロレスの仕事から足を洗っているそうです。プロレス関係者がいかに非常識かというエピソードは枚挙に暇がないくらいあります。茨城しかり。

http://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51634741.html

IWA JAPANの浅野社長がプロモーターをやっていたころのエピソード。浅野社長が手がけていたプロモート会社への売り興行がありました。浅野社長と面識があった三宅はこづかい稼ぎを目論み「チケットを売らせてくれ」と頼み込み快諾してもらえましたが、結果一枚も売れなかったそうです。本物のプロモーターとチケット売りの素人との差を痛感したと語ります。